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滄浪コミュニティ協議会

滄浪地区コミュニティ協議会
〒895-0132 薩摩川内市久見崎町191番地1
TEL:0996-27-3159

滄浪地区コミュニティ協議会便り

滄浪地区コミュニティ概要


川内河口大橋から望む朝陽と朝霧


1 地区の歩み・概要

「滄浪」名前の由来

 明治13年4月,時の小学校訓導の肥後人,大塚又次郎氏が造詣の深い漢詩の中から,中国古代の楚国の詩人屈原の「滄浪の水清ければ,もって我が瓔(冠の紐,また天子のこと)を濯ぐべく,滄浪の水濁らば,もって我が足を濯ぐべし」の「滄浪」をとって久見崎小学校を,滄浪小学校と改称したことによる。

「久見崎」地名の由来

 1170年昔の9世紀代の我が六国史(6大史書)の中の「文徳実録」に仁寿3年7月に,薩摩国クミサキの「福依女(ふくえめ)」が病父を20数年介護し,嫁にもいかず孝行を尽くしたとして,都で爵三級の位を賜り,永代門族の栄とされた記事がある。
現在,滄浪小学校校庭に,大迫陸軍大将書の石碑が建っているが,此の事から久見崎の地名は相当古くからあったことが判る。昔はクミサキと澄んで呼ばれていたが,慶長の役時に軍崎(グンザキ)と呼ばれていた名残りで,今ではグミザキと濁る呼び名になったといわれている。

 

地区の歩み

明治22年4月(市町村制施行)
高江村(高江,久見崎,寄田)
昭和31年10月川内市へ合併(高江地区,久見崎地区,寄田地区)

 

概要

滄浪地区の概要薩摩川内市の西部,川内川河口の左岸に位置し,海,山,川の合する風光明媚,人情豊かな土地柄で歴史的伝説も色濃い。
6自治会で滄浪地区を構成しているが,時代の潮流として,少子高齢化の波が押し寄せ,高齢化率37%超となり悩みは深刻である。

 

  (1) 人口 男231人・女142人 合計373人   (2) 世帯数 253世帯(自治会加入率 94.49%)   (3) 高齢化率 37.27%(65歳以上)(平成28年4月1日現在)   (4) 関係小学校

滄浪小学校(平成24年4月1日閉校)

水引小学校(男子2名,女子7名,計9名)

  (5) 関係中学校 水引中学校(男子8名,女子2名,計10名)       高校生  (男子2名,女子1名,計3名)   (6) 薩摩川内市消防団 西部大隊 川内西分団久見崎部
0996-25-6210

薩摩川内市 市民活動センター

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